2023年7月に「自問自答ファッション教室」というファッションの講座へ行ってきました!
そこで自分のファッションコンセプトを決める際に、どんな言葉をかけられたらうれしいか、ということを考えるワークがありました。
そこで私は自分に対して言う「かわいい」「きれい」「かっこいい」という言葉に大きな拒絶反応を持っていることがわかりました…(わかったというか知ってたけど…)
そこで今回はその言葉がなんでそう思うのか、私にとっての「かわいい」「きれい」「かっこいい」を掘り下げてみます!!
▼教室を主宰しているあきやさんの「かわいい」「きれい」「かっこいい」についてはこちら
私にとっての「かわいい」「きれい」「かっこいい」
私にはないもの。
これは人というより、他人やものについての言葉で自分に対して向ける言葉ではないと感じてます。
自分のものではないと思っている=自分で全部諦めている。
かろうじて「かっこいい」はなりたいに入りそうだけど、やっぱり自分ぽくないなと思ってしまいます。
かわいい、きれい、かっこいいは、自分の言葉じゃないと思ったのはなぜか??
小さい頃から上記の言葉で、褒められるのが、自分がコンプレックスに思っているところが多かったです。
例:「身長が高くてかっこいいね」「顔の形がかわいいね」「眉毛がきれい」
これらの言葉は容姿に対して使われる言葉だという先入観がものすごく強いため、上記の言葉はなんとなく容姿に対してだと思ってしまいます。
加えて、これを使って他人から褒めらるのは、容姿ではなく、態度や行動が多いので、容姿じゃないのか、まあ客観的に見てもそうだよねー。となっていました。
ちょっといじける感じがありますね…。
でも自分はそうはなりたいと思ってたか?
思ったことはないです。
本当は褒めてもらいたかったのかもしれませんが、もう遅いというか(苦笑)、そう思う前に、「かわいい」「きれい」「かっこいい」よりも、かけてもらって嬉しい言葉があるのことを発見できたので、これにこだわる必要はないな〜〜と思って諦めました。
そうはいいつつも、自分に対してはじめて自分のことをきれい!って思ったのは、アイドルの写真会とオンライン通話会の前に行ったエステで作ってもらった顔。
たぶん生まれて初めて、自分で自分のことをきれい!と思いました。
(担当のTさん、Mさん、Aさんに大感謝…!!)
けど、そこにはエステティシャンさんという他者の手が入っていて、ネイルかわいい、きれいと同じ感覚かもしれません。
なぜそう思えないか?
容姿にコンプレックスがあったのが、こう思えない原因。
女性性、というよりは「容姿」。
自分がなれないことを理解したので、それを好きなの推したちに託しています。
「なりたい」=推しなのは、推したちが私のなりたい姿だから。
異性として、というよりはなりたいことを体現している人だから好きになるんだろうな〜〜〜となりました。
なので、そこに恋愛感情は発生しません。
付き合いたいという発想があまりないのはそこから。なりたい姿に憧れるけどそれは恋愛感情ではないのです。
おわりに
要は容姿に自信がないから、全部諦めた、というなんだかちょっとネガティブなことが判明してしまいました。
そしてそれを推しに託しているということも発覚し、なんというか推したちに申し訳ない気持ちもありつつ、だから思い切り可愛い子たちが好きなのか〜と腑に落ちました。
あと自分にないものを推しに求めてることも判明しましたね…。
これらの言葉は自分に向けることは諦めてますが、他に言われてうれしい!!という言葉もあるので、そこからうまく折り合いをつけていきたいな〜と思いました。
おまけ
「憧れます」という言葉について
「かわいい」「きれい」「かっこいい」の他にも、言われて素直に嬉しくない言葉として「憧れる」という言葉がありました。
実は、言われても、素直に嬉しくなくて、うーんと思う理由は、自分に自信がないのと、自分に対して「憧れます」と言ってきた人たちに、裏がある場合がめちゃ多かったからなんだろうなと思っています。
でもいまの立場は、憧れられる存在にならなければいけないし、私をロールモデルにして人生を前に進めてほしいという想いがあっての今の職種に就いているのだから、受け入れて進まねばならないです…!