わたしのファッション遍歴

わたしのファッション遍歴

いろいろあって、最近また自分のファッションを見直しているので、自分のファッション遍歴を振りかえってみます!

 


幼児〜小学生

母親が子供服の販売職をしていたので、田舎の子供にしては、だいぶオシャレな服を着ていました。
神戸出身でもないのにファミリアを知ってることを上京してからいろんなところで驚かれたのは母の仕事のおかげ。

当時から可愛い感じのものより、ネイビーやモノトーンのボーダー、色が入ったとしても赤か青が好き。スカートよりも断然パンツ。
小さい頃レースやフリル的なものは肌に当たってチクチクするものというイメージがあり、あまり好きではなかったです。
スヌーピー柄のデニムポシェットが大のお気に入りだったことをいま急に思い出ししました。ここから私のデニム好きが始まったの…か…??

小学生高学年

B'zと出会ってはいたけど、BUCK-TICKの方が好きな時期。
ビジュアル系のファッションは着ようとは思わないけど見てて好きな時期。
近所に書店ができたのをきっかけに、中学生向けファッション雑誌と出会い、ファッション誌を立ち読みしまくる日々…。

特に「JUNIE」という雑誌がお気に入り。当時のJUNIEは表紙がいつもパキッとしたカラー背景でそれもすごく好きでした。

「JUNIE 雑誌」

「JUNIE 雑誌」でGoogle検索すると出てくる画面。赤や黄色の背景になってるのが私が読んでた時代 ※引用元:Google検索


もともと手芸や裁縫系の実用書を出版していた出版社だったので、毎回型紙が載ってたのも楽しかったな。
型紙が載ってるくらいなので、既製服だけじゃ満足できない子達が読者だったと思われるので、カジュアルだけど、ちょっと一捻りある服がたくさん載ってて楽しかった!

mc.sistarも好きでした!mc.sistarは洋服というよりモデルさんがみんな好き。
雑誌自体も、エレガントなんだけど、さわやかさもあって、シンプルで雑誌の雰囲気やトンマナ的なものが、アメリカ西海岸的な感じが大好きでした。

はじめての女性のファッションというか、こういう人になりたい!この人みたいな格好がしたい!という見本的な人ができたのはこの頃。
モデル森下紀子さん。いまでもとても好きです!

中学生

正式?にB'zファンになる。
中1に私の今のファッションの礎になったJAP THE RIPPERが開催され、雑誌やテレビで衣装をみて衝撃。
私の好きなカジュアルな格好は「アメカジ」っていうのかというのを雑誌で知る。

身長がどんどん伸びて、普通に売ってるパンツの丈が短くなる。
幸いにも、この頃のデニムがあまり日本人サイズではない状態だったため、丈がちょうどよいものがたくさんあり、基本デニム。
というかデニム以外のパンツが丈が足りなくて履けない時代。
重ねて、ふくらはぎの脇というかスネの脇あたりにアトピー的な湿疹があり、ウールや化繊のスカートがとにかくチクチクしてつらい(制服も辛かった……)
基本着れるものを着る時代。
幸い好きなテイストはアメカジだったので、着れるものが好きなテイストのものが多くてよかった!

世の中の流行り的に未来っぽいスポーツテイストのものが流行り、特にスポーツテイストのものが好き。親がアマチュアだけどスポーツを熱心にしてたので、いろんなスポーツメーカーのウエアをお下がりでもらったり、親が合わなかった靴をもらったりしましたね。

この頃からロングスカートが好きになる。祖母から買ってもらった、三陽商会のブランドの黒のコットン素材のスカートは、社会人になっても履いていました。
黒スカートに親から譲ってもらったナイキのエアハラチを合わせてたのですが、いまのバレンシアガのスニーカーと黒スカート合わせてるのと変わらないな…となってます。

高校生

バイト先の商業施設に、めちゃくちゃオシャレなセレクトショップができて、そこでいろんなブランドを知り、雑誌に乗ってるブランドの実物を見ることができました!
相変わらずアメカジも好きだけど、この頃から今で言うY2Kっぽい感じの90年代っぽいファッションもするようになります。
セレクトショップにあった変形カットソーや、襟の大きいシャツに、サテンっぽいシャツとか、小さいリュックとか、厚底ブーツも!

アトピー的な湿疹がよくなってきたので、いろんな素材のものを試せるようになり、すごい色々着てましたね…。でも基本パンツ。

当時流行りのSUPER LOVERSや、HIROMICHI NAKANO、KEITA MARUYAMAの明るくポップのものに惹かれて、それっぽい服は着てはいるけど、なんとなく似合わない気がしているという矛盾も発生。
本当は全身HYSTERIC GLAMOURにしたかったくらいHYSTERIC GLAMOURは大好きだったけど、高校生にとっては高かった……。それを買うお金があったら、CDやライブに使いたい!という頃。加えて、周りがみんな着てるため、誰かとかぶるのが嫌&反抗したくて買わないという、こじらせムーブ。

あと、高校の先輩で、お名前を存じないのですが、ものすごくオシャレに制服を着ている!と思っている方がいて、その方の制服コーディネートを参考にしてました。
雪国で、制服にブーツで通学が当たり前の地域だったのですが、その先輩はAIGLEの長靴を制服に合わせてたり、ルーズソックス全盛の時代にデニール数の高いタイツやハイソックスだったり。めちゃくちゃかっこよかったので私も真似してました。
これが今でも私のファッションに自信を持てたというか、別に皆と一緒である必要がないんだなーという自信に繋がります。


専門学校時代

高校生に引き続き、割とポップなものを着ていた時代。
ここでJEANASISに出会います。JEANASISと似たテイストのブランド(名前が思い出せない…ラフォーレ原宿にあった…)にハマり、そこからJEANASISやトガッた感じのカジュアルになった記憶…
卑弥呼の靴と出会ったのも専門学校時代だったような…
専門学校時代、どんな服を着ていたか、全く思い出せない…となってたのですが、結構写真が残ってて見ると、高校生時代とあまり変わらない感じでしたね。


社会人

上京し、まわりに色んな人がいすぎるために、着たところでかぶらないだろうということで、念願のHYSTERIC GLAMOURのTシャツを購入。数年大事に着てました。

社会人2年目で、デザイナーという肩書がついてしまいます。
「しまいます」という風に書いてしまうくらい、自分には不相応な肩書だと思ってました(ちなみに今もちょっと思ってる)

同じ肩書の人達と会うと、みなさんアパレル店員さん??って思ってしまうくらいオシャレな方が多く、私のファッションの中途半端さを感じてしまい「デザイナー」なのに…という気持ちと付き合っていくことになります。

5年目くらいまでは、HYSTERIC GLAMOURのシャツを年に1度買うものの、典型的なファッションビル系というか、雑誌でいうとMOREっぽい格好をずっとしてました。

社会人6年目、結婚したあたりで、やっぱり大好きなJEANASISとBEAMS BOYが割と自分の心に合ってるなと思い、よくこの2つのブランドで洋服を買うようになります。
デザイナーという職業はしてますが、関わる人が割と堅めの職業というか業界で、その人達と会った時に、浮かないファッション、かつ自分の心にも合っているものという感じの軸になっていった気がしてます。

そして社会人になってから15年以上、革靴とブーツは卑弥呼のものしか履きませんでした。
(正確に言うと、自分のファッションに合っていたし、自分のサイズが確実にあった)

2014年に会社での立場が変わってから、少しいいものを着たい、ちゃんとしなきゃ、と思い、ロンハーマンベイクルーズ系列、セレクトショップにあるドメスティックブランドの洋服も着るようになります。


そして2020年に、また立場がいろいろかわり、堅めの業界から、少し違う業界と関わることになって、自分の洋服に悩み自問自答ファッションに出会い、私の軸が決まります。

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自分のファッションを振り返ってみました!

改めて振り返ると、社会人になってからは「肩書」との戦いでしたね……。


私は自分のため、というより付き合う人たちや、周りからどう見えるかに影響されながら服装を決めてたんだなーーーとなりました。一旦折り合いがついたのですが、関わる業界が変わってまた戦って……の繰り返しです(笑)。


今年から、また業界と立場が変わったので、絶賛戦ってますが、自問自答をした自分の軸があるので、自分軸でありながらも、馴染むものを見つけられています。

自分軸がはっきりしたことで、今までとは違って戦いやすいなと思ってますし、戦い方はわかってる!という気持ちです。